桜井俊(櫻井翔の父親)の若い頃は?芸能界入りに反対していた?

嵐(アイドル)

さくらいs嵐の櫻井翔(さくらいしょう)さん。お父様は桜井俊(さくらいしゅん)さん。東大出身で総務省の官僚を経験した超エリートです。そんな桜井俊さん若い頃のエピソードや、息子櫻井翔さんとのエピソードを調べてみました。

 

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桜井俊(櫻井翔の父親)の若い頃は?

桜井俊(櫻井翔の父親)さんは若い頃どのような方だったのでしょうか。
桜井俊さんは、東大出身で官僚となったエリート!外見も櫻井翔さんに似てイケメンで、高校生当時はずっと長髪。かなり女性にモテていたようです。

 

桜井俊は若い頃は櫻井翔と同じくモテた

桜井俊さんと、小学校から高校までの同級生、落語家の市川談之助さんのお話です。

高校の頃の桜井なんてね、もうモテたなんてものじゃない

女の子からキャーキャー言われる存在だった

ガタイもあるし、ルックスもいいし、頭もいいし。頼りになりますよ。女の子にもモテました

修学旅行の際には、女子高生から黄色い声援を浴びていたほどの人気だったそうです。
櫻井翔さんもコンサートはもちろん、たくさんの女性から黄色い声援を浴びて活躍されています。それはもしかしたらそれはお父様から譲り受けたものかも知れませんね。

桜井俊の人柄は温厚で男性からもモテる

桜井俊さんについては、人柄の面でも、こんなエピソードがあると落語家の市川談之助さんが語っています。

勉強はできるくせに、あまりバリバリ表に立ってなんかやるような人じゃない。グループの中ではいわゆる参謀格だった。敵はいない。あいつとケンカしているやつはいなかった

人柄もよく、男性からの信頼も厚かったそう。立川談之介さんと今でも親交があると言いますし、母校のの同窓会会長も務めているそうなので、人望もあるんでしょうね。さらに櫻井翔さんはコンサートでピアノを披露されていますが、父親の桜井俊さんもピアノが弾けたそうです。こんなところにも、モテ要素が!

イケメンで、頭がよくて、人柄がよく、ピアノも弾ける…となると当然モテるはず!櫻井翔さんがアイドルとして活躍されているのも、お父様譲りかも知れませんね。

 

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桜井俊(櫻井翔の父親)は櫻井翔の芸能界入りに反対していた?

櫻井翔さんが履歴書を送ったのは親に内緒だった

櫻井翔さんは中学2年生の時、ご両親に内緒でジャニーズ事務所に履歴書を送りました。その後、ジャニーズ事務所からの書類が自宅に届いた時のエピソードを、2019年2月7日のVS嵐や、2020年11月28日のVS嵐で語っていました。

「人生の転機だった出来事」というトークテーマでは、櫻井翔さんはこんなことを言っています。

ジャニーズ事務所に履歴書を送った時かなあ。自分で履歴書を送った。
でも、親には言ってないわけ。だけど、ある日、帰宅したら家の空気が違って、
親から「なんだこれ」とジャニーズ事務所からの一次審査通過の書類を見せられて。
応募してたのは隠してたから「なんだろな、これ」と苦し紛れに知らないフリをした

とっさに知らないフリをしたというのが、中学生らしいですね。そして、他のメンバーから
「なんで黙ってたんですか?」「悪いことしてるわけじゃないんだから」と言われていました。
櫻井さんはそもそも受かると思っておらず、上級生の女生徒から「かわいいー!」「ジャニーズに入りなよ」と言われたことがきっかけだそうです。男友達と盛り上がり、出してみよう!というノリで
履歴書を送ったそうで、親に言う必要がないと思っていたそうです。

また、その履歴書には、当時習い始めたばかりだったギターを特技として書いたとのこと。オーディションで「YOUギターできるの?」と聞かれ「できます」と答えたそう。それを番組では「経歴詐称をしていた!」と取り上げられており、櫻井さんのかわいらしいエピソードが披露されました。

 

桜井俊、櫻井翔ジャニーズ入りに予想以上の反対

ところが、その軽いノリとは裏腹に、父親の桜井俊さんからは予想以上に厳しい反対を受けました。オーディションの案内通知に「聞いてない」「行くな!」と激怒されたのだとか。芸能界とは無縁の厳格な家庭で、幼いころから教育熱心だった桜井俊さんからすると、思い描いていた息子の将来とは全く別ののだったのかも知れません。しかし、櫻井翔さんの熱意に「学業をおろそかにしないこと」「学校を辞めずに、大学まで卒業すること」を条件に、芸能活動を許してくれたとのこと。

桜井俊さんの50年来の友人である、落語家の立川談之助さんもこんなことを語っています。

えらい困ってましたよ。翔さんは親に内緒でオーデションを受けて、事後承諾みたいな感じで勝手にジャニーズに入ってしまったらしくて。
嵐としてデビューして、かなり売れていた頃だと思うんですけど、そのときでもぼやいていました。当人としては翔さんを外交官とかそっちの方に就くように、慶応幼稚舎に入れさせたわけだからね。
引用:東京経済オンライン

また、櫻井翔さん自身も、こんなことを語っています。

大学に入るときも、もし嵐を続けるのなら、留年したら学費は自分で払えと言われました。留年したら、芸能活動をさせてもらえない、と言うことだなと思いました。

実際、櫻井翔さんは学生時代、芸能活動より学業を優先されていたことは有名です。試験の1か月前からは仕事を休んで学業に集中したり、楽屋でも勉強をしていたそうで、当時の櫻井翔さんの大学も約束通りに卒業されています。

嵐のデビュー後も、学業を怠らなかった櫻井さん。お父様との約束があったからこそ、きっと両立できたのでしょうね。

 

櫻井翔ソロコンサートで父親・桜井俊と和解

ジャニーズに1995年に入所し、1999年に嵐としてデビューした櫻井翔さん。父親は嵐のコンサートに足を運ぶこともなく、祖父母の家に行っても「いつ辞めるんだ」と言われ続けていたそうです。今は大人気の嵐ですが、デビューした当初はCDが売れない日が続き、順風満帆とはいかず、父親との確執は10年にも及んだそうです。

ところがその後、2006年に櫻井翔さんの初めてのソロコンサートが開催されることになりました。
一生に一度あるかないかのコンサート。リビングでたまたま二人になった際、櫻井翔さんは父親の桜井俊さんに「ソロコンサートやるから来てくれない?」と初めて言ったそうです。
「じゃあ行ってみるか」と父親に言われ、なんとなく認めてくれたと語った櫻井さん。父親とも和解し、その後は嵐のコンサートにも来てくれるようになったとのこと。

父親の桜井俊さんが反対されたのは、息子が心配だったからこそなんでしょうね。しかし、ソロコンサートでの櫻井翔さんの姿を見て、安心され、嬉しかったのかも知れません。10年に及ぶ確執を、自分だけのコンサートに誘うことで和解した櫻井翔さん。本当に素敵な親子関係ですね。

 

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桜井俊(櫻井翔の父親)のエピソードは?

櫻井翔さんの芸能界入りに反対していた父親の桜井俊さん。しかし、和解した後には、息子への愛情を感じるエピソードが多く聞かれます。

桜井俊は嵐の曲を歌う

そのひとつが「嵐の曲」

桜井俊さんは、カラオケに行くと嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」を熱唱するとのこと。
しかもスマホには櫻井翔さんのベストショットが入ってるとの噂も!最初は芸能活動を反対していた桜井俊さんですが、和解してからは息子の活躍を、誰よりも喜んでいたのかも知れませんね。

 

桜井俊は息子・櫻井翔のクリアファイルを持つ

桜井俊さん、総務省時代にはこんなエピソードもあるそうです。

桜井さんは、総務省時代に嵐の写真がプリントされたクリアファイルを使ったり“櫻井パパ”と呼ばれることにまんざらでもなく、息子さんのことを誇りに思っていた感じがしました。翔さんから軽井沢の別荘を贈ってもらって喜んでいたそうですよ(省庁関係者)
引用:週刊女性PRIME

 

嵐のアオゾラペダルのCDをプレゼント

櫻井さんの弟さんの合唱会でも、桜井俊さんのエピソードが語られています。

 

長い間、確執のあった櫻井翔さんと父親の桜井俊さん。しかし櫻井翔さんが嵐として活躍し、人から応援されることを体感してからは、家族として櫻井翔さんを応援されているのが分かりますね。きっと反対していたのも、息子さんが心配だったからこそ。父親としての愛情を感じさせる、素敵なお話でした。

 

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桜井俊(櫻井翔の父親)の若い頃まとめ

櫻井翔さんの父親、桜井俊さんの若い頃について調べてみました。

櫻井翔さんが芸能界に入ることについて、反対していた桜井俊さん。

しかし今では和解して、応援してくれているというのが家族としてほほえましいですよね。

これからも櫻井翔さんがご家族と仲良くすごされること、ファンとして祈っています!

 

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